北朝鮮建国70周年。これまでの歴史をわかりやすく解説します
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「北朝鮮ってどのようにできて、どんな歴史を歩んできたんだろう…」
と思っている方。北朝鮮は日本から近い国とはいえ情報が少なく、どのようにして国ができて今のような形になったかはわかりにくいですよね。
そこでこの記事では、北朝鮮が建国して70周年となる2018年を節目として、国ができてからこれまでの歴史をまとめて紹介します。
歴史というと難しく感じるかもしれませんが、概要だけならハードルは高くありません。まずはこの記事で、北朝鮮の歴史について大まかにつかみましょう。
1940年代:第2次世界大戦が終了。アメリカとソ連による朝鮮の統治が始まる
1945年にポツダム宣言によって第2次世界大戦が終わりました。そして、それまで日本に統治されていた朝鮮半島がソ連とアメリカによって統治されます。
- ソ連:北緯38度線から北の地域(今の北朝鮮)
- アメリカ:北緯38度線から南の地域(今の韓国)
このように分けて統治された朝鮮半島でしたが、1945年の時点では1947年に選挙を機会として南北を統一する予定でした。
しかしながら、朝鮮の北部では選挙を前に金日成をトップとした改革が進み、選挙は南部が先に始めるなどして、朝鮮半島の統一は決裂。
このようにして、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が1948年に誕生します。とはいえ北朝鮮と韓国は、互いに不満がたまった状態での建国だったこともあって1950年には朝鮮戦争が起こります。
1950年代:朝鮮戦争が起こる。休戦協定は2018年現在も結ばれたままに
朝鮮戦争で北朝鮮はソ連と中国のサポートを受けつつ、国境の北緯38度線を超えてソウルを占領しました。
これに対して、韓国はアメリカや国連の支援を受けて、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)まで進軍します。その後、北朝鮮側では中国が主導しはじめ、戦争は混戦をきわめました。
その結果、1953年に停戦協定が結ばれました。そして2018年の現在も、朝鮮戦争は”停戦”のままです。
1960年代:中ソ対立により関係が悪化。経済が行き詰まりはじめる
停戦後、1960年には中国とソ連が対立しはじめます(中ソ対立)。これにより、中ソ両国からのサポートを受けていた北朝鮮は中国派にうつり、結果としてソ連からの経済援助を失いました。
しかし1966年の文化大革命において中国との関係が悪化、北朝鮮はソ連派になるものの援助は以前と比べて激減。北朝鮮経済の行き詰まりが見えはじめました。
1970年代:1972年憲法の発布。金正日の登場。
1972年には「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」が定められ、
- 主体思想(社会主義や軍事を強める思想)
- 首都をソウルから平壌(ピョンヤン)へ
などの内容が決まりました。そして、金日成に代わる首相として金正日が登場。金一族が権力を強めることとなります。
1980年〜1990年代:ゲリラ戦争からの孤立。そして核開発へ。
南北の統一を狙う北朝鮮は、
- ビルマ(今のミャンマー)で韓国用心を暗殺(ラングーン事件)
- 1987年に大韓航空機を爆破
を行い、テロ国家として国際的に非難されました。
そのころ韓国では、1988年にソウルオリンピックが開幕。対して、北朝鮮はオリンピックのボイコットを実行し、さらに孤立を深めました。
そして1990年にさしかかったころ、北朝鮮は核開発に着手し始めます。同時期である1991年には北朝鮮は国連への加盟、非核化交渉、日朝交渉も進めていました。
しかしながら、韓国と中国の国交正常化や日本との拉致問題の悪化にともない、
- 日朝交渉の中断
- 南北対話の中断
- 核拡散防止条約からの脱退
と態度を変えます。そして経済が悪化、北朝鮮国内は飢餓者が出るほどの状況になりました。
2000年〜:度重なる核実験、ミサイル発射。金正男が暗殺される
そして、2000年代から今まで、北朝鮮は核保有国として開発を重ね、ミサイル実験を繰り返しています。
最近では、マレーシアの空港で金正男が北朝鮮によって暗殺されました。アメリカがトランプ政権に変わったころから対立が深まり、加えて北朝鮮の内部でも分裂が進んでいるのかもしれません。
深まる他国とのミゾ。北朝鮮の未来はどうなるのか
北朝鮮について建国からの軌跡を年表でまとめました。建国したころからさまざまな国の考えが交わり、それに左右されてきた歴史を歩んできたことがお分かりいただけたかと思います。
北朝鮮の未来はどうなるのでしょうか。これからもニュースから目を離すことができません。