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日経平均もついに3万円超え!最高値「38915円」の時代を振り返る

2021/04/05

2009年に7000円台前半の値をつけていた日経平均株価は、アベノミクスによる好景気の流れに乗って上昇し、政権交代を経ても勢いは止まらず、ついに3万円を回復しました。

日経平均が3万円台となるのは実に30年ぶりのことで、あのバブル景気と呼ばれる1990年代初頭まで遡らなければなりません。

その後のバブル崩壊による失われた10年や、リーマンショックなどを経て当時の記憶が失われるなか、最高値「38915円」の当時のことを振り返ってみます。

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プラザ合意によるドル安誘導

1990年代初頭のバブル経済を発生させた直接的な原因のひとつは、1985年に結ばれたプラザ合意です。

プラザ合意とは、ニューヨークのプラザホテルで発表されたG5(先進5か国 蔵相・中央銀行総裁会議)による合意事項の総称です。

この会議には、日本からは大蔵大臣の竹下登が出席しています。

当時、アメリカではレーガン大統領の下、厳しい金融の引き締めが行われたことを契機として金利が急激に上昇し、一時は20%を超える状態となっていました。

世界中から投資家の資金が注ぎ込まれ、ドル高が急速に進んだ結果として、アメリカにはモノの流通も加速し、貿易赤字が膨れ上がりました。

このような世界的なドル高と、アメリカの貿易赤字の解消を目指したのがプラザ合意で、金融面ではドル安へと誘導することが先進国の間で合意されました。

円高懸念と景気拡大政策

プラザ合意を受け、ドル円相場もすぐさま反応を見せ、合意当時の1ドル230円台半ばから150円台へと、僅か1年ほどの間に急速な円高が進みました。

ドル安誘導という各国蔵相が目指した方針がそのまま反映された形ですが、日本国内ではさらなる円高への懸念から、経済の先行きに不安の声が数多く聞かれました。

実際、このプラザ合意以降の急激な円高によって日本の輸出産業は大打撃を受けており、中小零細企業では倒産が相次ぐなどの深刻なダメージを受けました。

また世界的にみれば、1987年10月にブラックマンデーが発生し、香港を震源とした株価の大暴落を経験しています。

こうした状況に対応するため、日本政府は輸出依存の製造業の体質を改め、内需拡大によって景気を拡大させる方向へと転換していきました。

バブル景気と日経平均「38915円」

公共投資が積極的に行われると共に、日銀による公定歩合の引き下げが実施されたことで、日本の景気の先行き不透明感は払拭され、景気は回復へと転じました。

1980年代の後半から1991年までの間、日本はバブル景気と呼ばれる空前の好景気となり、1ドル100円となった円高を強みとして、海外の資産を買い漁るまでの状況となりました。

プラザ合意から製造業の倒産やブラックマンデーという経済不況を経験した直後に訪れた好景気は、金融や不動産への投機マネーの流入を生み、1989年に日経平均株価が「38915円」に到達したのです。

暗い雰囲気に包まれる世界経済からの脱却という「緊張と緩和」が、人々を熱狂させ、株式と不動産の価格上昇を生みました。

日経平均最高値「38915円」の時代まとめ

景気は常に好況と不況を繰り返しており、どちらか一方へと行き過ぎてしまうことは、ほとんどありません。

しかし、歴史的な出来事や、ちょっとした歯車のズレが生じたとき、明らかな異常事態を生みます。

日経平均が最高値の「38915円」をつけた時代は、プラザ合意によるドル安誘導、そして円高による製造業の不振、さらにブラックマンデーによる世界的な金融不安が重なり、人々が明るい材料を探し始めた時期のことです。

そして、2021年、3万円台を回復した日経平均株価は、さらなる上昇が期待されていますが、後世の人々は今の時代をどのように振り返るのでしょうか。

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