先日発表された、日本円紙幣のデザインリニューアル。三紙幣同時に刷新されるのは、実に20年ぶりのことだそうです。
福沢諭吉に代わって新しい一万円札の顔となるのが、実業家・渋沢栄一。
彼はいったいどのような功績を持つ人物なのでしょうか。


江戸時代後期に出生、幼いころから計算や読書を学ぶ
渋沢栄一は、江戸時代後期の1840年(天保11年)2月13日、現在の埼玉県深谷市に生まれました。
渋沢家は、一般的な農業に加えて、藍玉という染料の製造販売や養蚕なども手がける豪農。商売の知識を幼少期から叩き込まれて育ったそうです。5歳のころには読書にも取り組むなど、勉学の才能を開花させていました。


徳川慶喜の幕臣としてヨーロッパ外遊、大蔵省入省
青年期には剣術を学び、尊皇攘夷派の志士として京都で活動しますが、その後考えを改め、後の将軍となる一橋慶喜に仕えます。
慶喜が将軍になったあとは、幕臣としてヨーロッパ各国を訪問。先進的な産業や経済の発展に触れ、大きく視野を広げる結果となりました。

大政奉還後は、株式会社制度を実践したり商法会所を設立したりと、新時代の制度作りに関わります。その後、大隈重信に声をかけられ、1869年(明治2年)大蔵省に入省。度量衡の制定や国立銀行に関する条例制定に関わります。

4年ほど業務を行いましたが、大隈重信や大久保利通らと意見が分かれ、自ら退官しました。


実業界で活躍、500もの企業設立に携わる
退官以降は実業界で活躍し、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)や東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)、東京瓦斯、田園都市(現在の東京急行電鉄)、帝国ホテルなど、多くの企業設立に携わります。関わった企業の数は500以上と言われており、その才覚や情熱が常人離れしていたことがわかりますね。

中でも、東京証券取引所を設立したのは、大きな功績といえるでしょう。日本が自由経済の中で発展していく礎を作ったことから、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになりました。

財政界引退後は、渋沢同族という株式会社を作りましたが、これは遺産整理をスムーズにするためのもので、「渋沢財閥」とも呼ばれるように。そして、1931年(昭和6年)、92歳で人生の幕を閉じました。


渋沢栄一の成功の基礎は、視野の広さにあった
渋沢栄一が成功した要因は多くありますが、その中で基礎となったのは「視野の広さ」だと考えられます。渋沢栄一は、幕臣時代にヨーロッパ各国を周遊し、最先端の産業や経済活動を体感しています。

このとき日本は内乱の最中。「日本国内の問題に囚われているうちに、世界はこんなにも前に進んでいる」と感じたそうです。このときにグローバルな視野を持てたことで、その後日本でどのような方向性で活動すべきかを決められたとか。

私たちも、目の前の仕事で手一杯な時ほど、視野を広げて情報を集め、これから進むべき方向性を見定められるといいですね。



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